2018/01/16

プロフィール

万年筆


カウンセリングルームmika代表

ヘッド 美佳

1962年
1月2日生まれ 静岡県静岡市出身

入退院を繰り返すアルコール依存症の父と一家を支える母のもとで育つ

両親が人間関係のお手本となることでアダルトチルドレンの土台が築かれる

1983年
病気により母他界

1984年
母に続いて父も他界
両親を失ったさみしさから、うつと恋愛依存に陥る

1986年
恋愛の苦しみで自殺未遂

1989年
友人を通じて知り合った男性と結婚

1994年
夫の国へ移住
うつになり精神病棟に強制入院

1996年
うつ状態が回復し家族そろって帰国

2011年
家族崩壊
子どもたちの受験勉強を乗り切るため別居
苦しい状態から抜け出すためにカウンセリングに通い始める
自分を見つめ直すため心理学の勉強を始める

2015年
離婚
仕事上、旧姓に戻さず夫の姓を使用
職場や知り合いから個人的に恋愛相談を受けることが多くなる

2016年
産業カウンセラー資格取得
恋愛専門のカウンセラーとして本格的に活動開始
恋愛塾の塾長と呼ばれるようになる

2017年
クライアントに恋愛の極意をお伝えしながら自身も理想のパートナーと出逢う

 

ここから先は、もう少し私のことを詳しくお伝えします。

 

そもそも、なぜ私がカウンセラーという職業に就いたのか、どのようにして苦境から脱し、今は満たされた気持ちで毎日を過ごせるようになったかなどについてです。

 

ここまで公表していいのかと迷いましたが、恋愛と人生につらさを感じていらっしゃる方々に、何らかの形で道しるべとなればと思い、私の過去を振り返って書きました。

 

どうぞ、お時間を作ってお読みください。

 

 

どこまでも暗い子ども時代

物心ついたときの私と母の生活は、アルコール依存性の父を中心に回っていました。

 

病気がちの父は、仕事から帰ってくるとお酒を飲みはじめ、目がすわってくると大声を出し、物にあたり散らしてうっぷんを晴らす、私にとって苦痛を感じさせる存在でした。

 

父と母は、よく喧嘩をしていました。

 

小学生の私は泣きながら両親の間に入って「ケンカやめて…」と頼み、喧嘩が終わらないと自分の部屋に逃げ込んで、父の怒鳴り声やお皿の割れる音がなくなるまでガマンしました。

 

耳に入ってくる音を遮断するため、これは起きていないこと、私は幸せなお姫さま…と空想を繰り返しながら、膝を抱えて喧嘩が止むのを待つ暗い子どもでした。

 

静かになるのは、父が酔いつぶれたサイン。私はリビングに戻り、母とふたりで酔いつぶれた父を寝室まで運び、めちゃくちゃになったリビングを片付けるのが日課でした。

 

私は典型的なアダルトチルドレンです。

 

 

父親からの影響をまともに受ける

父親は弱くて暴れる。これが私の男性観でした。健康的な恋愛や結婚のイメージがまったくわからず、どの家でもこんな感じかなと幼心に思ったものです。

 

ところが父には、捨てられた子猫をそっと胸に抱いて涙ぐんだり、草花を大切にしたりするような慈しみの心もありました。また、母とは喧嘩をする父でしたが、なぜか私に対して一度も怒ったことがないのです。

 

私が幼稚園の頃、寒さで手がかじかむような夜になると、父は布団の中で冷たくなった私の足先を温めてくれ、眠りにつくまでキツネやタヌキの昔話をしてくれました。

 

そのときばかりは、熟しきった柿のような父のお酒の匂いも気にならず、私はもっともっとと父に昔話をせがみました。

 

男性は暴れるけれど、やさしい一面もある。そして私が父の世話をしたように、男性は「支えて」「守る」存在である。どんなに困っても、男性に頼ってはけいない。自分が怖いと思ったことは秘密にしなければいけない。

 

こうして私の恋愛観が知らず知らずのうちにできあがりました。父の言動が私の人生を大きく左右するとは、その頃は思ってもみませんでした。

 

 

両親とのお別れ

自分のことがいつも後回しだった母は、私が21歳のとき仕事に追われて病気になり、入院してたった2ヶ月でこの世から消えてしまいました。

 

大好きな母がワガママな父の看病と仕事に追われて死んでしまった。そのショックで、私は父を毛嫌いするようになりました。

 

母の仏壇の前で泣く父を目にするたびに、今さらそんな態度をとってもお母さんは帰ってこないんだよと、父がますます憎くなり口をきかない状態が続きました。

 

ついにその父もお酒で体が完全に蝕まれ、私が一晩中飲み歩いて帰宅したある日の朝、母の後を追うように布団の中で冷たくなっていました。

 

母を死なせたのは父のせい、私が暗いのも父のせいと父を憎んでいましたが、ひとりっ子だった私には家族を失った悲しみが襲ってきました。

 

夕方になると母が仕事から帰ってくるのではないか…、喧嘩してもいいから父や母と夕飯を食べたい…、そんなことはもう起きないのだ…と気持ちが沈み、どうして私ばかりがこんな目に遭うのか、神様がいるのなら何て意地が悪いのだろうと恨みました。

 

朝起きると両親を思い出し、食べることもままならず、生きているのが精一杯な状態になっていきました。

 

うつの始まりです。

 

 

恋愛しても失敗ばかり

ぐちゃぐちゃな気持ちをまぎわらすため、私は少しずつお酒と恋愛に溺れるようになっていきました。

 

20代で強く心を惹かれた男性は、社会的にはダメ男でも、なぜかいつも支えてあげたくなるような人や、私の他に特定の女性がいる人ばかりでした。

 

つきあってもいない男性からお金をせびられ車を貸してと言われても、好きな人のためなら…と大して疑問も持たず言いなりだった私。好きな男性を支えることが愛される証だと思い込んでいたのです。

 

仕事中でも好きな人のことばかりが頭に浮かんでいる状態で、恋愛依存に陥っていました。

 

愛されたい。でも、何をしても誰も私を愛してくれない。私を守ってくれる人は一体どこにいるの?空っぽな心をどうしたらよいのかわからなくなりました。

 

苦しい恋愛ながら、なんとかつきあえた方はふたり。そのうちのひとりから別れを告げられたときには、この世からいなくなりたいと思い自殺未遂をしました。

 

 

幸せな結婚。でも……

荒れまくっていた私が落ち着き始めた頃、真面目でやさしい男性と知り合いました。それが元の夫です。

 

やっと私にも家族ができました。子どもも生まれて、ますます家族らしい生活ができたので幸せいっぱいでした。

 

ところが結婚生活は、楽しさばかりではなかったのです。移住先の国で再びうつ状態になった私は、毎日涙が止まらず起き上がれなくなりました。

 

心配した夫が家に医者を呼ぶと、うつと診断され、そのまま精神病棟に強制入院させられました。

 

退院してからも、私は“家族”に固執していました。夫と一緒に生活したくないと思いながらもひとりになるのが怖かったのです。

 

愛されていると思いたい気持ちと、これは愛ではないと思う気持ちがクルクルと入れかわり、混乱がひどくなっていきました。


でも、深く考えるのが怖いので、とにかくなんとかやり過ごして今日という日が終わればいいと思う毎日でした。

 

長男を出産し、うつ状態が落ち着いた頃、夫の仕事の都合で日本に帰ってきました。

 

帰国してからも、私の結婚は失敗した…と何度も考えましたが、すべてを精算して自分でなんとかする力などありませんでした。


あえて自分自身と向き合いたくなかったのが本音です。経済多的な自立以上に、精神的な自立ができなかったのです。

 

それは、父の大声と両親の喧嘩をやり過ごすことで身についてしまった、私独自の思考や行動のパターンが原因でした。

 

①嫌なことが起きたら嵐が過ぎ去るまでじっとしている。

②考えると苦しくなるから嫌なことはなかったことにする。

③どんなにがんばっても私の周りは変わらないから流される。

 

幼い頃から染みついた考えは、ずっと続いていたのです。

 

泣いてお願いしても父と母は喧嘩を止めてくれなかったように、どうせ私の願いなど、誰に相談しても否定されるに決まっているし、困ったことが起きても誰も頼れない。

 

そんな私独自の思い込みができあがっていたことに気がつきませんでした。私にとっては、そう考えるのがごく普通のことだったのです。

 

元夫とは、はたから見たら仲の良い夫婦。なにひとつ不自由のない生活。でも私は、嫌なことは最初からなかったことにする状態に限界がきて、ついに心が悲鳴をあげました。

 

急に叫び出したり過呼吸になったりを繰り返す毎日が襲ってきたのです。子どもたちも、そんな状況では勉強どころではありません。

 

息子はしだいに無口になって部屋に閉じこもり、娘も精神的に追い込まれるようになりました。

 

 

本来の自分を取り戻すためカウンセリングを受ける

これ以上、自分に嘘をつくのは無理だろうと思った時期から、心理カウンセリングに通い始めました。

 

カウンセリングで少しずつ自分を取り戻しながら、日本にもカウンセラーという仕事があるんだ…とひそかに憧れたのがこのときでした。

 

まさかそのときには、私が本当にカウンセラーになれるとは思ってもみませんでした。

 

 

人生初めての決断

2011年の東日本大震災の直後、私は家を出る決心をしました。

 

それは、夫と子どもたちを送り出したある日の朝でした。


一度ぐらいは自分で人生を歩まないと…、子どもたちのためにもこの家を出ないと…と、不安と怖さで震えながら何時間も考えたのです。


ふと気がついたときには、涙が止まって部屋の中は暗くなっていました。


これは、ずっと流された人生を送ってきた私にとって、自分の人生を選択しようと思った初めての決断です。


大震災は、多くの人の命が失われたショックとともに、自分がいつこの世からいなくなるかわからないと思う出来事でした


また、いつか私も
心から愛し合える人と人生を歩みたいと痛感する出来事でもありました。

 

ところが家を出るといっても、夫の願いで49歳まで18年間も専業主婦をしていた私には、社会経験などゼロ。

 

なんとか知り合いのつてで紹介してもらった仕事と、もうひとつ仕事を見つけて生活の基盤を作り、夫が仕事で家にいない日を狙って、数々の思い出がある家を出ました。

 

引っ越し先は上の階の音が響くような古いアパートでしたが、自分の力で新しい生活がスタートできたことにうれしさがこみあげてきました。

 

このことは私にとって人生の第一の転機でした。「私だって流されないで生きていくこともできるんだ」と自信を持ったのです。

 

子どもたちの高校と大学の受験は、半年後に控えていました。

 

 

また、暗いトンネルをとぼとぼ歩く

夫から離れて、やっとぐっすりと眠れると思ったのに、今度は外を歩くたびに幸せそうな家族が目に入ってきて落ち込む日が続きました。


1日の食費は親子3人で500円。みじめという言葉がぴったりな生活でした。娘が近くのマーケットで買ってきてくれたメザシやしなびたホウレン草を見ると、情けなさと申し訳なさで涙をこらえるのがやっとでした。

 

また、慣れない仕事でミスを連発するたびに、私には誰も支えてくれる人はいないのだと思い、悲しさがこみあげてきてきました。毎晩、子どもたちにはわからないように布団の中で声を殺して泣きました。

 

出口のない真っ暗なトンネルの中を、とぼとぼと歩いているうちに大きな石に転んでしまったようで、生きているのがつらいと何度も思いました。

 

そんな私の唯一の楽しみは、心理の本を図書館から借りることでした。子どもたちの学費を考えると自由になるお金がなかったので、恋愛依存の本を丸写ししながら、自分の人生に起きたことを理解する作業を始めました。

 

 

価値観がひっくり返った人生の転機

かつて両親と暮らしていた古い家が空き、そこに戻るのをきっかけに仕事を変えたのが第二の転機となりました。

 

1年だけの契約でしたが、特別支援学校の職場開拓員として、軽度の知的障害のある学生たちの実習や就職を企業にお願いする仕事に就いたのです。

 

そんなある日、卒業生が在校生に向けて仕事の話をする時間がありました。幸運なことに、普段は外回りの仕事をしていた私も卒業生の話を聞く機会に恵まれました。

 

そのときのショックは今でも忘れられません。

 

卒業生は「自分の仕事が大好きです!」と大きな声で発表したのです。障害がなければ、取るに足らないような仕事かもしれません。

 

でも、彼の自信に満ちあふれた顔を見て「私は社会人として負けた…」と涙が出るほど感情が揺さぶられました。そして私も、誇りが持てる大好きな仕事をしたいと心の底から思ったのです。

 

「仕事は、お金を得るために仕方なくこなすもの」から「仕事は、自分の可能性を広げられるもの」へと価値観が逆転しました。

 

それからは、夜家で泣くことをやめました。いつかカウンセラーになりたい、自分のつらかった経験をひとりでも多くの女性に手渡しできれば…と強い想いが湧いてきたのです。

 

 

恋愛はうつを治す力がある

次の仕事は精神障害者の直接支援の仕事に就き、そこで出逢った女性とのやり取りが私の恋愛カウンセラーとしての出発点となりました。

これが第三の転機です。

 

精神障害のある女性は責任感があり聡明で、忙しい私のサポートをしてくれるほど気が利く存在。でも、彼との関係や職場の人間関係で悩んでいて、自殺したいと口にしはじめたのです。

 

私は、何とかして彼女に幸せな恋愛をしてほしいと思いました。「プライベートな相談に乗るよ」と声をかけた私に、彼女は自宅で書いたイラスト入りの恋愛日記を見せてくれました。

 

彼女の「自分に自信がない」「男性から愛される自信もない」といった内容の日記に、昼休みに私がコメントを返す。そんな交換日記のようなやり取りが毎日続きました。

 

交換日記の効果なのか、彼女は少しずつ明るくなっていきました。「ヘッドさん、恋愛は主体性が大事なんですか?」「私の望むものは何なのか、まだわかりません」と、彼女と私が何度もやりとりをしていくうちに明るさを取り戻し、気がつくと彼女の自殺願望はなくなっていました。

 

うっすらとメイクをして、それまで履いたことがないと言っていたスカートも身にまとい、彼だけが人生のすべてではない、自分の時間を楽しみたい。

 

こんな具合に変化していった彼女は、彼との関係も改善され、ときには彼を振り回すようにもなりました。

 

このとき、恋愛はうつを治す効果があると実感したのです。恋愛は人生を大きく変える力がある大切なものだと思いました。

 

 

夢に向かって

たまに襲ってくる落ち込み感や恋愛への依存から完全に抜け出すために、私は産業カウンセラー養成講座に通いはじめました。本格的にカウンセラーになるため猛勉強の始まりです。

 

養成講座では学べなかったものの、私にとって深い関心があった「愛情飢餓」や「孤独感」「恋愛依存」を勉強したかったので、通勤時間のバスの中や自宅で過ごす空き時間は、すべて本を読む時間に当てました。

 

そして、自分の経験と照らし合わせながらノートにまとめていったのが、現在カウンセリングで使用しているオリジナルシートの一部です。

 

カウンセラーに憧れたときからすでに4年が過ぎていました。年齢的に新しいことをやるのは無理かもしれない…。本当にカウンセラーになれるかな…?

 

ときどき不安が頭をよぎりました。

 

すでに世の中にはカウンセラーがたくさんいて、とても私の入る余地などないと弱気になるたびに、「自分の仕事が大好きです!」といった男の子の顔を思い出しました。

 

きっと私の経験を渡せる人がいるに違いない。その人たちに出逢うまでは頑張ろう。自分が納得いく生き方をしよう。


そう自分を励ましながらカウンセラーになることだけを考えるようにし、精神的な自立のきっかけとなったゲシュタルトセラピーを勉強するため、東京にも通いはじめました。

 

寝ても覚めてもカウンセリングのことで頭がいっぱいで、恋愛に依存していた頃がウソのように変化していきました。

 

クリスマスイブにはインスタントラーメンを食べながら勉強。知り合った人に頭を下げてカウンリングの練習をさせてもらい、東京で学んだ技法は自宅に戻ってから椅子をクライアントに見立て、ひとり二役で練習をしてカウンセリングの感覚を身につけていきました。

 

 

恋愛心理カウンセラー誕生

心理の勉強と並行して、私自身の恋愛観をしっかりとしたものにしたく、恋愛についても勉強を重ねていきました。次々と本を読み、心が満たされる恋愛はどんなものかを探求したのです。

 

その知識を周囲の女性たちに話していきました。すると、恋愛で悩む方から相談を受けるようになったのです。かつては頼み込んでお願いしていたカウンセリングに、お金を払って受けたいと言ってくださる方が増えてきました。

 

相談に乗った方から「恋愛の話は、公共機関のカウンセリングや病院ではとても話せない。ミカさんだから話せる」と言われたことをきっかけに、カウンセラーとして独立するときが来たと感じました。

 

民間企業に属して、心の病気がある方々の職場復帰に携わるカウンセラーになるつもりだったので、まさか私が恋愛専門のカウンセラーになるとは思ってもみませんでした。

 

でも、それが一番私らしいと思えたので、精神障害者支援の仕事を辞め自宅でカウンセリングルームを開きました。

 

 

まさか私が?再び困難の壁

起業してカウンセリングルームを始めてからは、仕事に没頭する日々が続きました。


頭の中はカウンセリングのことでいっぱいで、趣味の山登りにも行けない状態でしたが、とても充実した日々を過ごしていました。

 

ところが私は、あることに気がついたのです。

 

カウンセリングに関する調べものや、セッションで使用するオリジナルシートを作り始めると時間の経つ感覚がなくなってしまうことに。

 

気がつくと明け方になっていることもあり、私はどこかおかしいのでは…と思うようになりました。

 

もしかすると私はADHDかもしれない…との思いが強くなったのです。

 

子どもの頃から好きなことにはとことんのめり込み、興味のないことにはまったく関心がわかないので、他の人とちょっと違うぐらいに思っていましたが、そのような症状がある人はADHDなんだといった知識はありました。

 

不安を抱えていた矢先、知り合った方からADHDについて詳しい話を聞く機会がありました。それが私の症状にぴったりとあてはまったので、意を決して心療内科で検査を受けると、やはり私はADHDとの診断がおりました。

 

ADHDは先天性の脳機能の障害です。朝から晩まで次々とひらめきがわいてくるので、考えをメモしたり行動に移すときに、手や体が追いつかないのです。


また、物音や気になることが起こると集中力が途切れる反面、好きなことは過集中して止まらなくなります。

 

幸いなことに大好きなカウンセリングのセッションでは、クライアントへの集中力、リラックス状態やひらめきがバランスよく保たれて、とても自然体でいられます。

 

カウンセラーは、私の天職だと思えるほどに。

 

それでも私は、障害があり一生治ることはないのだと思うと、また転んでしまった…と涙が出てきました。

 

そのとき、ふと母の笑顔が浮かびました。「ミカ、負けないよ」と言っているような気がしたのです。

 

日が経つにつれて少しずつ気持ちが落ち着いてきた私は、どうやって障害とつきあっていこうかと考え方を変えました。


私は私。たとえ脳に障害があっても、それに人生を左右されるのは嫌だと思ったのです。

 

ADHDは頭の回転が早く、壁にぶつかっても乗り越える力がある”特別な存在”なんだと思えばいい。そう自分に言い聞かせると、“欠け”のある自分自身を受け入れられて、不思議と誇らしい気持ちにもなりました。

 

ADHDは発達障害の中でも、唯一薬で症状が抑えられる障害です。担当医と相談して投薬を始めました。胃が痛くなり吐き気が襲ってくる副作用はあるものの、過集中もだいぶ治まっていきました。

 

 

新たな出逢い

仕事に没頭する日々が続く中、出逢ったのが現在のパートナーです。

 

彼にも私の障害を話したのですが、あまり気にする様子はなく「ミカさんらしくしていればいいよ」ただ、あまりにも仕事に没頭しすぎると身体によくないから、ときには気分転換にふたりで自然の中に出かけよう」と提案してくれたのです。

 

私は、私のままでいいの…?

 

自分自身にもいつも言い聞かせていた言葉を、好きになった人から初めて言われたことで、一瞬ポカン…としてしまいました。

 

そして数日後、うれしさで胸の中がいっぱいになりました。

 

私の存在そのものを素敵だと肯定してくれるパートナーに、初めて出逢えたのです。彼は私の男性観をことごとくひっくり返してくれました。

 

彼は父のように急に暴れない。
彼は私を支えて守ってくれる存在。
困ったときには頼ってもよい存在。

 

また、不思議なことに彼のやさしさは、大嫌いだった父が私にときおり見せたやさしさと同じだと気がつきました。

 

父は父なりに私のことをとても愛してくれたのだと、初めて心から納得できたのです。


あれほど虚しかった私の心は、いつの間にか愛で満たされるようになりました。

 

 

両親から渡されたもの

幼いとき、膝を抱えて両親の喧嘩が止むまでじっと待ち続けた子ども部屋が私のカウンセリングルームです。

 

両親はこの世からいなくなってしまいましたが、私に渡されたものが確かにあると感じています。

 

パートナーから「ミカさんには、闇夜をひっそりと照らす月の明るさがある」と言われたことがあります。

 

もしそれが本当ならば、父の不器用なやさしさと、母のつらさを弾き飛ばす明るさが、私の中で生き続けているかもしれません。


両親から渡されたものを、今度は私が悩んでいる方々へお渡しするのが、私の人生の役割だと感じています。

 

そんな私のカウンセリングテーマは、愛と人生。そして出逢いと別れです。

 

 

生きることの意味

つらくなると人は「なぜ生きる?」と考えます。私もずっと考えてきました。人生は、楽しいことばかりではありませんね。

 

何千年と続く生命の連鎖の中で、人として生まれてきた喜びや苦しみを、渡されたり渡したりすことで命がつながっています。


その命の核となる「愛」を感じるのが生きることではないでしょうか。

 

悲しみの涙。大切な人を失ったときの喪失感。胃がせり上がってくるような怒り。くやしさで握りしめた拳。うれしさで上気した頬。愛を感じたときのやわらかな表情。

 

そんなあなたの存在は、きっと誰かに「自分も同じ感情を持つ人間なんだ」と、安心感を与えるはずです。

 

それが、あなたと周囲の人たちが、愛を感じながら共に生きる意味だと私は思います。

 

 

あなたへのメッセージ

人との出逢いが私は好きです。

 

同じ時代を生きていても、ほんの少しのすれ違いで出逢えなかった人もいれば、人生を大きく変えるような偶然の出逢いもありますね。

 

あなたの家族。あなたのパートナー。あなたの友達。あなたと知り合った人たち。

 

どんなふうにあなたの愛を渡していきたいですか?

 

いつかあなたの命が終わる瞬間、大切な人に「確かに愛を渡した」と微笑む場面をイメージして、今日という日を生きていただければと思います。

 

愛を感じることに年齢は関係ありません。たとえ過去にどんなことがあっても、何をするのにも遅すぎることなどありません。

 

変わりたいと思ったら、その瞬間から行動しましょう。

 

転んでしまったら、膝の砂を払って立ち上がれば、進む方向を見ることができます。

 

怖くなってしまったら、心許せる人に肩を貸してもらいながら、ゆっくりと歩くこともできます。

 

しんどくなったら、休みましょう。

泣きたかったら、思い切り泣きましょう。

うれしいときには、全身で表現しましょう。


あなたの感情には、あなたが生きてきた道のりのすべてがあります。

 

それをしっかりと感じ取ってください。それが自然体なあなたの幸せであり、自身を愛することです。

 

どうかあなたも、穏やかな陽だまりの中で、あたたかな愛を感じられますように…。

 

そこではきっと、特別なことをしなくても、あなたの存在そのものを大切に想う人の命が、あなたをそっと包みこんでくれることでしょう。

 

 

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ここに至るまで、私と出逢い多くの気づきを与えてくださった方々

 

私のカウンセリングルームへ足を運んでくださった方々

 

そして、最後までこのプロフィールを読んでくださったあなたに

 

 

心からの感謝を込めて

 

ヘッド美佳

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