
ソファとスマホはベストマッチ。そしてやる気の消失
最近、どうもおかしい。やる気がない。
いや、正確に言えば「何もしたくないわけじゃないんだけど、体が動かない」。
仕事が休みの日は、スマホを手に取って、なんとなくyoutubeやThreadsを見るのが習慣になってしまっている。そして、ふと気づく。
「私、今日なにしたっけ?」って。
こういう状態って地味にしんどくないですか?「休日なにしてた?」「うん、ずっとソファで寝転がってスマホ見てた~」なんて、ちょっと人に言えない感じもありますよね。
まあ、大好きな料理は休日でも朝起きたら即取りかかるし、掃除やお洗濯ぐらいはフツーにこなします。でも、何ていうのかな……、充実感ゼロっていうか、人生をムダに生きているような感覚に陥っちゃう。
平日は仕事をしている。カウンセラーは体力が必要なので朝早くから友達と散歩したり、仕事の合間に週2で水泳もしている。仕事モードになると、自分でも不思議なほどシャキッとする。充実しているといえば充実している。
でも「アンタぜんっぜんダメだよね~」と、ソファに座るたびに厳しい声がわいてくるんですよ。
う~ん。これは一体、どういうことなんだ。
「とにかくやらなきゃ!」に没頭した日々
振り返ると、1月末までは放送大学の「心理学統計法」の単位認定試験に向けた勉強でアップアップしていた。
「変数?」「正の平方根を取る?」「パラメータ?」と、テキストをめくるたびにつまづいた。
「中学の勉強からか……」と、図書館で基礎のキみたいな本を数冊借りてきて、休日になるたび一日中勉強していた。平日も空き時間を見つけては黙々と取り組んだ。
「ミカさん、映画見に行かない?」「山登りはどう?」と誘われても断り続けてきた。
あの頃は、まるで崖っぷちに追い詰められたウサギのようだったな、私。そんなにかわいくないけどさ。
頑張ったかいあって、試験は無事合格。9割正解。心理学って”目に見えない不確かな心を科学的に実証していく学問”なんだな~と体感した。
とまあ、ここまでは達成感や充実感で身も心もいっぱいだったんですよ。
そうだそうだ。試験終了後、娘からNetflixのタイプロが面白いから観るべし!とLINEが入ったので、休日の2日間でエピソード18まで一気見。
「あ~!いいね!何かに向かって頑張っている姿って美しいね~」と、心が動いてひとりで笑ったり泣いたりしていた。久しぶりの推しもできてうれしくなった。
※タイプロ timeleszのメンバーを選考するオーディション番組
そのあたりからだった、今振り返れば。めっちゃ前向きだった私の生活に、じぐじぐと“気の重さ”が侵入してきたのは。
「達成感ラバー」だった私
ここまで書いて、気づいた。
「私って、“何かをやりとげること”が好きなんだな」って。
・すごく難しくて、投げ出したくなる日もあった心理学統計法。なんとか頑張って単位を取れたときのあの達成感。
・タイプロで男の子たちが人生をかけてアイドルに挑む姿。
・さらに振り返ると、このホームページも自分で四苦八苦しながら作り上げたのだった。
その間、何度か徹夜をしたし、日曜日なんていう感覚は持ち合させてすらなかった。50歳になるまでアメブロみたいな無料ブログにも書いたことがなくて、ウェブの世界?何するの?怖い…みたいなところから始めた無謀な挑戦。
それに比べると、最近はどうだろう?
刺激がなくて、成し遂げた感じがない。
そりゃ、やる気も出ないわけだな〜って、自分にちょっと納得しちゃった。
いわゆる「燃えつき症候群」もあるかもしれない。
そうか、私は満たされたかったんだ!
達成感は大いに満たされる。でも、”満たされる”には種類がある。達成感とはまた別の喜びも必要だってことを、私はうっかり忘れていたのだ。
小さくて静かな喜び。言葉にするのはむずかしいけれど、「私はいま、生きてる」っていう、身体の芯がかたまるようなくすぐられるような感覚かな。
あの感覚を、私はすっかり忘れていたなと気がついた。
頑張りすぎて心が疲弊して、いまは頑張っていない自分にダメだね~と声をかけ続け、それすらも感じたくなくて休日はソファに寝転がってスマホ三昧。
依存って、直面したくないことを避けるために、感じないために没頭するでしょう?私のスマホ依存はまさにそれ。
とても大事な「じんわりと満たされる瞬間」のことが抜け落ちていた。
「する」ではなく「感じる」
達成感って「目的に向かって行動する」ことで得られる喜びですよね。でも、じんわりと満たされる感覚というのは、もっと大事だと思うんですよ私としては。
つまり「何かをするすること」(行動の結果)ではなく、「何もしないこと」(ただ、今この瞬間に気づくこと)から得られる感覚は、ささやかだけれど、自分のこころの芯を埋めてくれるような温かい喜びに結びつく。
だからこそ、その喜びは
頭で「意味」を考えるよりも
計画を立てて「目指す」よりも
五感や感覚で「ただ味わう」ことに近いんじゃないかな。
・春のふわっとした風が肌に触れたときの「やさしい驚き」
・冬、石油ストーブを使い始める瞬間の「懐かしさ」
・自分の匂いがついている布団に潜り込むときの「安心感」
・パートナーや家族、友達など好きな人の笑顔を見て感じる「ほっとする気持ち」
・ちびっこいワンコを見たときの「胸がキュっとした感覚」
こんな自然と湧き上がる感覚をゆっくりと味わうことで、深く満たされる瞬間がある。
私がこれまで生きてきた軌跡とどこかでつながるような感覚ともいえる。もちろんその感覚は時間とともになくなるけれど、何か特別なことをしなくても、きっかけがあればすぐに感じられる。
「自然と湧き起こる感覚」
「満たされる瞬間」は、無理に作り出そうとするよりも、心がほどけて、余白が生まれたときにやってくることが多い。
まるで、沈んだ水面に、ぽつんと波紋が広がるような感じ。静かな山里で、ふと鳥の声が聞こえてくるような、そんな静けさの中でこそ気づけるもの。
ちょっとカッコつけた言い方しちゃったけれど、要するに身体も頭もリラックスしていることが肝だよね。
「達成感」は、外へ向かう力
「満たされる感覚」は、内へとしみ込む優しさ
そんなふうにも言えるかもしれない。
だから、「何かをしなきゃ」「変わらなきゃ」と思っているときほど、この満たされる感覚には出会いにくくなることがある。
よ~く考えると仕事をしているのだから、休みの日ぐらい思い切りぼんやりすればいいじゃん。私って自分に厳しいねぇ。
皆さんも、そんなふうに「自分を見失っている感覚」はありますか?
カウンセラーだけど…自分には言ってなかった言葉
おかしいですよね。
私、カウンセリングでは「今ここにある感覚を大切にしてみてくださいね」とか、「何もしなくていい時間が心を整えてくれますよ」なんて、クライエントにはお伝えしてるんです。
でもね、自分に対しては……その言葉、全然かけてなかった。
頭ではわかっているのに、いざ自分のこととなると「何かやらなきゃ」「がんばらなきゃ」ってスイッチが入っちゃう。でもって、やらなきゃならないと思えば思うほど、できなくなる。
いつの間にか自分を追い立てちゃう。
人の話は聴けても、自分の声って聞こえづらいものなんですよ。カウンセラーあるある、かもしれません(笑)
「今ここ」に立ち止まる時間も、ちゃんと生きてる
やる気が出ない。
達成感がない。
何もしたくない。
そんな自分を責めそうになったとき、「あ、今ここにいるだけでいいんだった」って、立ち止まる瞬間を持てればいいよと、今は自分に言いたい。
もちろん、私の“達成感ラバー魂”はこれからも健在ですけどね。
でも、それだけじゃなくて、ふとした瞬間の心地よさ……“手ごたえのない幸せ”も、大事にしていきたいと思う。きっとそれは、深く満たされる感覚につながっているはず。
この頃やる気が出ないなあと思っている方がいたら、ぜひ「目に見える達成」以外にも、心の奥がふわっと動くような感覚を意識してみてね。
それが、いちばん大切な“今ここ”の自分を満たす鍵かもしれないから。
とまあ、ここまで気がついた私なので、また休日のスマホ三昧に陥ったら「とことんやってもいいよ~」とGOサインを出しちゃう。
心が十分満足すれば、「もうたくさん楽しんだね」って自然とスマホを見なくなる。罪悪感を抱くんじゃなくて、忙しかった自分の回復期だと思って見守るような感じでね。
あ~最後は、“いかにもカウンセラーっぽい言葉”でしめくくっちゃったよ~(笑)
”いかにもカウンセラー先生”っていうのは嫌いなのにね↓
私はカウンセラー先生が嫌い ~カウンセラーが謙虚でなくてどうするっていう話~
ではでは、今日もカウンセラーらしからぬ私につきあってくださりありがとう!
ミカ
追記
記事の下書きを4月に終えてからのんびり過ごしていたら、なんとGWに突入してしまった!
ふと昨晩思ったことがあり、記事のアップと共に追記を。
2011年、東日本大震災の年に元夫から離れるために、専業主婦だった生活から一転して複数の仕事を掛け持ちするようになった。
「この人なら自分の気持ちを話したい」と思ってもらえる心理カウンセラーになることを目指して勉強を続けてきたから、休日でも完全に気を抜いたことがなかった。テレビや動画配信を見ることもなかった。ましてや推し活どころではなかったな。
そんな私が、タイプロ経由でtimeleszに夢中になるって、これまでの生活がひっくり返るような変化なんだと、いま気がついた訳です。
カウンセラーとしての成長や達成感を求めていたこともあるけれど、それ以上に私は仕事のことでない”夢中になる対象”を見つけたかったのかもしれないって。
休日のThreadsやInstagram放浪は、もっとtimeleszを見たい、知りたいという単純な気持ちだったのかもしれない。
昨晩、Netflixで旧ジャニーズが勢ぞろいしたコンサートを楽しく見ていたら、急に亀梨くんや上田くんの姿がぼやけた。なぜか、涙が出ていた。
私は14年間ずっと忘れていた「何か」に、また出会いたかったのかもしれない。子どもの頃からひとつのことに深~く夢中になる傾向があって、それが自分らしさでもあったから。
家族4人で元の家に暮らしていた頃、私はHey! Say! JUMPが大好きだった。あのときの気持ちを、また感じたかったんだろう。