2018/02/05

プロフィール

万年筆

カウンセリングルームmika代表

ヘッド 美佳

 

1962年

1月2日生まれ 静岡県静岡市出身

 

入退院を繰り返すアルコール依存症の父と一家を支える母のもとで育つ

 

両親が人間関係のお手本となることでアダルトチルドレンの土台が築かれる

 

1983年

病気により母他界

 

1984年

母に続いて父も他界

両親を失ったさみしさから、うつと恋愛依存に陥る

 

1986年

恋愛の苦しみで自殺未遂

 

1989年

友人を通じて知り合った男性と結婚

 

1994年

夫の国へ移住

うつになり精神病棟に強制入院

 

1996年

うつ状態が回復し家族そろって帰国

 

2011年

家族崩壊

子どもたちの受験勉強を乗り切るため別居

苦しい状態から抜け出すためにカウンセリングに通い始める

自分を見つめ直すため心理学の勉強を始める

 

2015年

離婚

仕事上、旧姓に戻さず夫の姓を使用

職場や知り合いから個人的に恋愛相談を受けることが多くなる

 

2016年

産業カウンセラー資格取得

恋愛専門のカウンセラーとして本格的に活動開始

恋愛塾の塾長と呼ばれるようになる

 

2017年

クライアントに恋愛の極意をお伝えしながら自身も理想のパートナーと出逢う

 

***************

 

ここから先は、もう少し私のことを詳しくお伝えします。

 

そもそも、なぜ私がカウンセラーという職業に就いたのか、どのようにして苦境から脱し、今は満たされた気持ちで毎日を過ごせるようになったかなどについてです。

 

恋愛と人生につらさを感じていらっしゃる方々に、何らかの形で道しるべとなればと思い、私の過去を振り返って書きました。

 

どうぞ、お時間を作ってお読みください。

 

 

どこまでも暗い子ども時代

物心ついたときの私と母の生活は、アルコール依存性の父を中心に回っていました。

 

毎晩あびるようにお酒を飲み、大声を出しながら物にあたり散らしてうっぷんを晴らす父は、私にとって苦痛を感じさせる存在でした。

 

夜になると、父と母は必ず喧嘩をしていました。小学生の私が泣きながら「ケンカやめて…」と頼んでも、喧嘩は終わりませんでした。

 

しかたなく自分の部屋に逃げ込み、父の怒鳴り声やお皿の割れる音がなくなるまで膝を抱えてガマンしました。

 

静かになるのは、父が酔いつぶれたサイン。私はリビングに戻り、母とふたりで酔いつぶれた父を寝室まで運び、めちゃくちゃになったリビングを片付けるのが日課でした。

 

私は典型的なアダルトチルドレンです。

 

 

 

父親の影響をまともに受ける

父親は弱くて暴れる。これが私の男性観でした。健康的な恋愛や結婚のイメージがまったくわからず、どの家でもこんな感じかなと幼心に思ったものです。

 

ところが父には、捨てられた子猫をそっと胸に抱いて涙ぐんだり、草花を大切にしたりするような慈しみの心もありました。また、母とは喧嘩をする父でしたが、なぜか私に対して一度も怒ったことがないのです。

 

私が幼稚園の頃、寒さで手がかじかむような夜になると、父は布団の中で冷たくなった私の足先を温めてくれ、眠りにつくまでキツネやタヌキの昔話をしてくれました。

 

そのときばかりは父のお酒の匂いも気にならず、私はもっともっとと父に昔話をせがみました。

 

男性は暴れるけれど、やさしい一面もある。そして私が父の世話をしたように、男性は「支えて」「守る」存在である。どんなに困っても、男性には頼れない。

 

こうして私の恋愛観が知らず知らずのうちにできあがりました。父の言動が私の人生を大きく左右するとは、その頃は思ってもみませんでした。

 

 

両親とのお別れ

自分のことがいつも後回しだった母は、私が21歳のとき仕事に追われて病気になり、入院してたった2ヶ月でこの世から消えてしまいました。

 

大好きな母がワガママな父の看病と仕事に追われて死んでしまった。そのショックで、私は父を毛嫌いするようになりました。

 

母の仏壇の前で泣く父を目にするたびに、今さらそんな態度をとってもお母さんは帰ってこないんだよと、父がますます憎くなり口をきかない状態が続きました。

 

ついにその父もお酒で体が完全に蝕まれ、私が一晩中飲み歩いて帰宅したある日の朝、母の後を追うように布団の中で冷たくなっていました。

 

母を死なせたのは父のせい、私が暗いのも父のせいと父を憎んでいましたが、ひとりっ子だった私には家族を失った悲しみが襲ってきました。

 

夕方になると母が仕事から帰ってくるのではないかと思い、どうして私ばかりがこんな目に遭うのか、神様がいるのなら何て意地が悪いのだろうと恨みました。

 

朝起きると両親を思い出し、食べることもままならず、生きているのが精一杯な状態。このときから私のうつが始まりました。

 

 

恋愛しても失敗ばかり

 

ぐちゃぐちゃな気持ちをまぎわらすため、私は少しずつお酒と恋愛に溺れるようになっていきました。

20代で強く心を惹かれた男性は、社会的にはイマイチでいつも支えてあげたくなるような人や、私の他に特定の女性がいる人ばかりでした。

 

つきあってもいない男性からお金をせびられ車を貸してと言われても、好きな人のためなら…と大して疑問も持たず言いなりだった私。好きな男性を支えることが愛される証だと思い込んでいたのです。

 

仕事中でも好きな人のことばかりが頭に浮かんでいる状態で、恋愛依存に陥っていました。

 

寂しい。愛されたい。でも、何をしても誰も私を愛してくれない。私を守ってくれる人は一体どこにいるの?

 

空っぽな心を抱えたまま、なんとかおつきあいできた男性から別れを告げられたときには、この世からいなくなりたいと思い自殺未遂をしました。

 

 

幸せな結婚。でも…...

荒れまくっていた私が落ち着き始めた頃、真面目でやさしい男性と知り合いました。それが元の夫です。

 

やっと私にも家族ができました。子どもも生まれて、ますます家族らしい生活ができたので幸せいっぱいでした。

 

ところが結婚生活は、楽しさばかりではなかったのです。移住先の国で再びうつ状態になった私は、毎日涙が止まらず起き上がれなくなりました。

 

心配した夫が家に医者を呼ぶと、うつと診断され、そのまま精神病棟に強制入院させられました。

 

退院してからも、私は“家族”に固執していました。夫と一緒に生活したくないと思いながらもひとりになるのが怖かったのです。

 

愛されていると思いたい気持ちと、これは愛ではないと思う気持ちがクルクルと入れかわり、混乱がひどくなっていきました。

 

でも、深く考えるのが怖いので、とにかくなんとかやり過ごして今日という日が終わればいいと思う毎日でした。

 

長男を出産し、うつ状態が落ち着いた頃、夫の仕事の都合で日本に帰ってきました。私の結婚は失敗した…と何度も考えましたが、すべてを精算して自分でなんとかする力などありませんでした。

 

あえて自分自身と向き合いたくなかったのが本音です。経済多的な自立以上に、精神的な自立ができなかったのです。

 

それは、父の大声と両親の喧嘩をやり過ごすことで身についてしまった、私独自の思考や行動のパターンが原因でした。

 

①嫌なことが起きたら嵐が過ぎ去るまでじっとしている。

 

②考えると苦しくなるから嫌なことはなかったことにする。

 

③どんなにがんばっても私の周りは変わらないから流される。

 

幼い頃から染みついた考えは、ずっと続いていたのです。

 

泣いてお願いしても父と母は喧嘩を止めてくれなかったように、どうせ私の願いなど、誰に相談しても受け入れてもらえないに決まっている。困ったことが起きても誰も頼れない。

 

そんな私独自の思い込みができあがっていたことに気がつきませんでした。私にとっては、そう考えるのがごく普通のことだったのです。

 

元夫との暮らしは何ひとつ不自由のない状態でしたが、本当の自分に目を向けないことに限界がきて、ついに私の心が悲鳴をあげました。

 

急に叫び出したり過呼吸になったりを繰り返す毎日が襲ってきたのです。子どもたちも、そんな状況では勉強どころではありません。

 

息子はしだいに無口になって部屋に閉じこもり、娘も精神的に追い込まれるようになりました。

 

 

本来の自分を取り戻すためカウンセリングを受ける

これ以上、自分に嘘をつくのは無理だろうと思った時期から、心理カウンセリングに通い始めました。

 

カウンセリングで少しずつ自分を取り戻しながら、日本にもカウンセラーという仕事があるんだ…とひそかに憧れたものです。

 

でもそのときは、まさか私が本当にカウンセラーになれるとは思ってもみませんでした。

 

 

人生初めての決断

2011年の東日本大震災の直後、私は家を出る決心をしました。

 

それは、夫と子どもたちを送り出したある日の朝のこと。

 

一度ぐらいは自分で人生を歩まないと…。子どもたちのためにもこの家を出ないと…。不安と怖さで震えながら何時間も考えたのです。

 

ふと気がついたときには、涙が止まって部屋の中は暗くなっていました。

 

これは、ずっと流された人生を送ってきた私にとって、自分の人生を選択しようと思った初めての決断です。

 

大震災は、多くの人の命が失われたショックとともに、自分がいつこの世からいなくなるかわからないと思う出来事でした。

 

また、いつか私も心から愛し合える人と人生を歩みたいと痛感する出来事でもありました。

 

ところが家を出るといっても、夫の願いで49歳まで18年間も専業主婦をしていた私には、社会経験などゼロ。

 

なんとか知り合いのつてで紹介してもらった仕事と、もうひとつ仕事を見つけて生活の基盤を作り、夫が仕事で家にいない日を狙って、数々の思い出がある家を出ました。

 

引っ越し先は上の階の音が響くような古いアパートでしたが、自分の力で新しい生活がスタートできたことにうれしさがこみあげてきました。

 

このことは私にとって人生の第一の転機でした。「私だって流されないで生きていくこともできるんだ」と自信を持ったのです。

 

子どもたちの高校と大学の受験は、半年後に控えていました。

 

 

また、暗いトンネルをとぼとぼ歩く

夫から離れて、やっとぐっすりと眠れると思ったのに、今度は外を歩くたびに幸せそうな家族が目に入ってきて落ち込む日が続きました。

 

1日の食費は親子3人で500円。みじめという言葉がぴったりな生活でした。娘が近くのマーケットで買ってきてくれたメザシやしなびたホウレン草を見ると、情けなさと申し訳なさで涙をこらえるのがやっとでした。

 

また、慣れない仕事でミスを連発するたびに、私には誰も支えてくれる人はいないのだと悲しくなり、子どもたちにわからないように布団の中で声を殺して泣きました。

 

出口のない真っ暗なトンネルの中をとぼとぼと歩いているようで、生きているのがつらいと、夜になるたびに思いました。

 

そんな私の唯一の楽しみは、心理の本を図書館から借りること。子どもたちの学費を考えると自由になるお金がなかったので、恋愛依存の本を丸写ししながら、自分の人生に起きたことを理解する作業を始めました。

 

 

価値観がひっくり返った人生の転機

かつて両親と暮らしていた古い家が空き、そこに戻るのをきっかけに仕事を変えたのが第二の転機となりました。

 

1年だけの契約でしたが、特別支援学校の職場開拓員として、軽度の知的障害のある学生たちの実習や就職を企業にお願いする仕事に就いたのです。

 

そんなある日、卒業生が在校生に向けて仕事の話をする時間がありました。幸運なことに、普段は外回りの仕事をしていた私も卒業生の話を聞く機会に恵まれました。

 

そのときのショックは今でも忘れられません。

 

卒業生は「自分の仕事が大好きです!」と大きな声で発表したのです。障害がなければ、取るに足らないような仕事かもしれません。

 

でも、彼の自信に満ちあふれた顔を見て「私は社会人として負けた…」と涙が出るほど感情が揺さぶられました。そして私も、誇りが持てる大好きな仕事をしたいと心の底から思ったのです。

 

「仕事は、お金を得るために仕方なくこなすもの」から「仕事は、自分の可能性を広げられるもの」へと価値観が逆転しました。

 

それからは、夜家で泣くことをやめました。いつかカウンセラーになりたい、自分のつらかった経験をひとりでも多くの女性に手渡しできれば…と強い想いが湧いてきたのです。

 

 

恋愛はうつを治す力がある

次の仕事は精神障害者の直接支援の仕事に就き、そこで出逢った女性とのやり取りが私の恋愛カウンセラーとしての出発点となりました。

 

これが第三の転機です。

 

精神障害のある女性は責任感があり聡明で、忙しい私のサポートをしてくれるほど気が利く存在。でも、彼との関係や職場の人間関係で悩んでいて、自殺したいと口にしはじめたのです。

 

私は、何とかして彼女に幸せな恋愛をしてほしいと思いました。「プライベートな相談に乗るよ」と声をかけた私に、彼女は自宅で書いたイラスト入りの恋愛日記を見せてくれました。

 

彼女の「自分に自信がない」「男性から愛される自信もない」といった内容の日記に、昼休みに私がコメントを返す。そんな交換日記のようなやり取りが毎日続きました。

 

交換日記の効果なのか、彼女は少しずつ明るくなっていきました。

 

「ヘッドさん、恋愛は主体性が大事なんですか?」「私の望むものは何なのか、まだわかりません」と、やりとりが進むうちに彼女は明るさを取り戻し、自殺願望はなくなっていきました。

 

うっすらとメイクをして、それまで履いたことがないと言っていたスカートも身にまとい、彼だけが人生のすべてではない、自分の時間を楽しみたい。

 

こんな具合に変化していった彼女は、彼との関係も改善され、ときには彼を振り回すようにもなったのです。

 

このとき、恋愛はうつを治す効果があり、人生を大きく変える力もある大切なものだと思いました。

 

 

夢に向かって

たまに襲ってくる落ち込み感から完全に抜け出すために、私は産業カウンセラー養成講座に通いはじめました。本格的にカウンセラーになるため猛勉強の始まりです。

 

養成講座では学べなかったものの、私にとって深い関心があった「愛情飢餓」や「孤独感」「恋愛依存」を勉強したかったので、通勤時間のバスの中や自宅で過ごす空き時間は、すべて本を読む時間に当てました。

 

そして、自分の経験と照らし合わせながらノートにまとめていったのが、現在カウンセリングで使用しているオリジナルシートの一部です。

 

カウンセラーに憧れたときからすでに4年が過ぎていました。年齢的に新しいことをやるのは無理かもしれない…。本当にカウンセラーになれるかな…?

 

ときどき不安が頭をよぎりました。

 

すでに世の中にはカウンセラーがたくさんいて、とても私の入る余地などないと弱気になるたびに、「自分の仕事が大好きです!」といった男の子の顔を思い出しました。

 

きっと私の経験を渡せる人がいるに違いない。その人たちに出逢うまでは頑張ろう。自分が納得いく生き方をしよう。

 

そう自分を励ましながらカウンセラーになることだけを考えるようにし、精神的な自立のきっかけとなったゲシュタルトセラピーを勉強するため、東京にも通いはじめました。

 

寝ても覚めてもカウンセリングのことで頭がいっぱいで、恋愛に依存していた頃がウソのように変化していきました。

 

知り合った人に頭を下げてカウンリングの練習をさせてもらい、東京で学んだ技法は自宅に戻ってから椅子をクライアントに見立て、ひとり二役で練習をしてカウンセリングの感覚を身につけていきました。

 

 

恋愛心理カウンセラー誕生

心理の勉強と並行して、私自身の恋愛観をしっかりとしたものにしたく、恋愛についても勉強を重ねていきました。心が満たされる恋愛はどんなものかを探求したのです。

 

その知識を周囲の女性たちに話していきました。すると、かつては頼み込んでお願いしていたカウンセリングに、お金を払って受けたいと言ってくださる方が増えてきました。

 

相談に乗った方から「恋愛の話は、公共機関のカウンセリングや病院ではとても話せない。ミカさんだから話せる」と言われたことをきっかけに、カウンセラーとして独立するときが来たと感じました。

 

民間企業に属して、メンタル的な問題を抱えた方々の職場復帰に携わるカウンセラーになるつもりだったので、まさか私が恋愛専門のカウンセラーになるとは思ってもみませんでした。

 

でも、それが一番私らしいと思えたので、精神障害者支援の仕事を辞め自宅でカウンセリングルームを開きました。

 

 

新たな出逢い

起業して仕事に没頭する日々が続く中で出逢ったのが現在のパートナーです。

 

恋愛カウンセラーの私は、男性から色メガネで見られることもあります。「よく恋愛のカウンセラーになどなりますね」「勇気ありますねぇ。」とからかわれたり、笑われたりもします。

 

きっと彼も私の職業を知ったら、「恋愛の経験がとても豊富で奔放な人」と思うだろうなと、何も期待しないで接していました。

 

でも彼は、他の男性と違いました。

 

私は、多くの男性から言い寄られる女性を増やしたいのではなく、心理的な問題で恋愛がままならない女性に、たったひとりでいいからパートナーを見つけて生涯幸せになってもらいたい。

 

そんな想いでカウンセラーをしていると彼に伝えると、私の仕事や夢を応援してくれたのです。

 

私にとって仕事はとても大事。特に今は仕事を優先したいから、会えないことも多い。ましてや、いきなり親密な仲になるのは抵抗がある。

 

そう伝えると、「ミカさんらしくしていればいいよ」「ただ、あまりにも仕事に没頭しすぎると身体によくないから、ときには気分転換にふたりで自然の中に出かけよう」と提案してくれたのです。

 

私は、私のままでいいの…?

 

うつや恋愛依存から完全に抜け出すために、何十回とカウンセリングに通いながら見つけた、たった一つの答え「私は、私らしくいたい」。

 それを好きになった人から初めて言われたのです。しばらくの間、ポカンとしてしまいました。

 

そして、胸の中にうれしさが波のように押し寄せてきました。

 

私の存在そのものを素敵だと肯定してくれる彼は、私の男性観をことごとくひっくり返してくれました。

 

彼は父のように急に暴れない。

彼は私を支えて守ってくれる存在。

困ったときには頼ってもよい存在。

 

また、不思議なことに彼のやさしさは、大嫌いだった父が私にときおり見せたやさしさと同じだと気がつきました。

 

父は父なりに私のことをとても愛してくれたのだと、初めて心から納得できたのです。

 

あれほど虚しかった私の心は、いつの間にか愛で満たされるようになりました。

 

 

両親から渡されたもの

パートナーから「ミカさんには、闇夜をひっそりと照らす月の明るさがある」と言われたことがあります。

 

もしそれが本当ならば、不器用な父のやさしさと母の明るさが、私の中で生き続けているかもしれません。

 

幼いときに膝を抱えて、父と母の喧嘩が止むまでじっと待ち続けた子ども部屋が私のカウンセリングルームです。

 

その部屋で私は、両親から渡されたものが確かにあると感じています。それを悩んでいる方々へお渡しするのが私の仕事。

 

そんな私のカウンセリングテーマは、愛と人生。そして出逢いと別れです。

 

 

生きることの意味

つらくなると人は「なぜ生きる?」と考えます。

 

私自身も5年前に「なぜ生きるのですか?」とカウンセラーに聞いたことがあります。「それは、ミカさんが自分で考えることですよ」と答えを教えてもらえませんでした。

 

その「なぜ生きる」を忘れかけたころ、とある美術館で私なりの答えが見つかりました。

 

あふれる才能と美貌で、多くの男性から賞賛されたニキ・ド・サンファル。

 

美しいフランス人の彼女でも、お金があっても、人は同じように愛で悩んできたのだと気がついたのです。

 

それは、苦しみは私だけが感じるものではないし、無理をしなくてもいいと、作品を通して作者から包み込まれたような瞬間でした。

 

何千年と続く生命の連鎖の中で、人として生まれてきた喜びや苦しみを、渡されたり渡したりすることで命がつながっています。

 

その命の核となる「愛」を感じるのが生きることではないでしょうか。

 

愛は自分が自分であるための証。そして、自分と自分以外の存在の間に生まれるやわらかな絆。

 

私は愛を感じるのが大好きです。そして私以外の方にも、その人なりの愛を感じていただけたらと思っています。

 

悲しみの涙。大切な人を失ったときの喪失感。胃がせり上がってくるような怒り。くやしさで握りしめた拳。うれしさで上気した頬。愛を感じたときのやわらかな表情。

 

そんなあなたの存在は、きっと誰かに「自分も同じ感情を持つ人間なんだ」と、安心感を与えるはずです。

 

それが、あなたと周囲の人たちが、愛を感じながら共に生きる意味だと私は思います。

 

 

あなたへのメッセージ

人との出逢いが私は好きです。

 

同じ時代を生きていても、ほんの少しのすれ違いで出逢えなかった人もいれば、人生を大きく変えるような偶然の出逢いもありますね。

 

あなたの家族。あなたのパートナー。あなたの友達。あなたと知り合った人たち。

 

どんなふうにあなたの愛を渡していきたいですか?

 

いつかあなたの命が終わる瞬間、大切な人に「確かに愛を渡した」と思えるように、今日という日を生きていただければと思います。

 

愛を感じることに年齢は関係ありません。たとえ過去にどんなことがあっても、何をするのにも遅すぎることなどありません。

 

変わりたいと思ったら、その瞬間から行動しましょう。転んでしまったら、膝の砂を払って立ち上がれば、進む方向を見ることができます。

 

怖くなってしまったら、心許せる人に肩を貸してもらいながら、ゆっくりと歩くこともできます。

 

しんどくなったら、休みましょう。

 

泣きたかったら、思い切り泣きましょう。

 

うれしいときには、全身で表現しましょう。

 

あなたの感情には、あなたが生きてきた道のりのすべてがあります。

 

それをしっかりと感じ取ってください。それが自然体なあなたの幸せであり、自分を愛することです。

 

どうかあなたも、穏やかな陽だまりの中であたたかな愛を感じられますように…。

 

そこではきっと特別なことをしなくても、あなたの存在そのものを大切に想う人の命が、あなたをそっと包みこんでくれることでしょう。

 

 

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ここに至るまで、私と出逢い多くの気づきを与えてくださった方々

 

私のカウンセリングルームへ足を運んでくださった方々

 

そして、最後までこのプロフィールを読んでくださったあなたに

 

 

心からの感謝を込めて

 

ヘッド美佳

 

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