昨日、袴田巌さんの弁護にかかわる方とお話をしていたとき、ふとドキュメンタリー番組を見てモヤっとしたことを思い出し、彼にその話をした。
2024年11月、NHKのドキュメンタリー「雪冤の歳月~ひで子と巌 奪われた58年~」で私の目に映った袴田さんは、自宅で過ごしておられるとき、周囲に人がいるにもかかわらず、たったひとりで妄想の世界にいるように私の目には映った。
そう、たったひとりで。
それはまるで、彼が犯罪者の烙印を押され、刑務所の中たったひとりで耐えてきたプロセスと同じように見えたのだった。
もちろん、今は刑務所にいるのではなく自由。ご自宅におられるし、ひで子さんだけでなく支援者の方々と過ごされることもあるりますよね。和やかなムードが漂っているように見えました。ひで子さんの献身的な支えにも頭が下がる思いです。ひで子さんが袴田さんに「ありがとうって言いな」と声をかけたyouttubeの場面では、弟を思う姉の気持ちに感動して泣いてしまいました。
それでも、私は言いたいの。
袴田さんが妄想の世界にいることを、「その状態では幸せになれない」と弁護士先生を含む周囲の人たちが思い、(私の想像ですが)彼を何とか現実の世界とコンタクトしてもらいたいと願い、彼に働き続けているとしたら、う~ん、なんというか……傲慢な感じがする。
まるで「妄想の世界にいる彼は、ダメな人なのだ」「彼の幸せは私たちの世界にこそあるのだ!」と、袴田さんに新たな烙印が押されたように見え、切なくてたまらなくなったのでした。
どうして誰一人として、彼の妄想の世界にいっときでも一緒にいようとしないのか。妄想の世界において、彼の目に何が見え、彼の耳にどんなことが聞こえ、どんな匂いの空気を吸っているのか。彼が「自分を神」と思う瞬間に何が頭をよぎるのか……。
どうして、誰もそちらの世界に少しの時間でもいっしょにいたいと思わず、こちらの世界が100%の正解のように扱うのか……。彼が妄想の世界にいるのは、それが彼にとって必要だからではないのかと、誰も思わないのか。
書いていて、切なさだけでなく苛立ちもわいてきました。
ベテランの医者は彼を分析するのかな。分析して何かを変えようとするのかな。
でも、それって医者が袴田さんと向き合うというよりも、分析結果と向き合うようで、その接し方に残念でため息が漏れる。
私はカウンセラー歴7年のひよっこだけれど、人が変容するためには「変容の逆説的理論」が欠かせないと思っている。
※変容の逆説的理論とは、「人は、自分でない者になろうとする時ではなく、ありのままの自分になる時に変容が起こる」というものです。人間の変容といったものは、自分や他者が、人を変えよう、変化しよう、状況を変化させてあげよう、といった強制的な試みによって起こるのではない、というのがその主張。 一般社団法人ゲシュタルト療法学会より抜粋 そしてもうひとつ。 「カウンセラーVS変化する力のないクライエント」とか、「医者VS精神疾患の患者」という図式が好きじゃないんだ、私は。 「私はあなたを変化させてあげる人」などの役割を取らずに、支援者も目の前の人も、悩みを持ちながら日々を過ごす生身のひとりの人としてかかわることが欠かせないんじゃないのかな、人が変化していくには。 ひとりひとり幸せの在り方は違っていいよね? 袴田さんの幸せを、彼の世界を、「あぁ、そうなんだ」「そこに(妄想の世界に)いたいのですね」「その世界がどんな世界か、私も一緒に入らせていただいてもいいですか?」と思う人が彼の前にいないことが、残念でたまらない。もっとも、それが彼にとっての幸せかどうかも、本人に聞いてみないとわからないのだけれど……。 主任弁護人の小川先生(私はひそかに、その名字から「ちいかわ先生」と呼んでいるのだ)、また次回お会いするときにぜひとも先生の意見を聴かせてくださいね。 また、このブログを読んでくださった方はどう思うのか、それも聞かせてほしいです。 めっちゃ久しぶりの記事で、力が入りまくってしまいました(笑) 年末の休みで、ゆったりしていると書く気力がわいてくるのだと実感中。 ミカ