私の幼少期の写真
普段の私は、こころに引っ掛かることがあると、関係対話アプローチのトレーニングの場でワークをしたり、個人のカウンセリングを受けます。
それは、クライエントと向き合うときに、こころに引っかかることがあると、まともなセラピーはできないからです。
クライエントの感情と一体化してしまったり(こころの境界線がない状態)、 目の前の人を何とか癒したい!と思ったり(自分が癒されていない人に起こる投影)、反対に感情を感じないで事柄のみを扱ってアドバイスしたりしてしまうのがイヤなので(これはカウンセリングではなくてコンサルタント)、自分のこころをニュートラルにすることが私の仕事にはかかせません。
で、話を元に戻します。
今回の記事は、はじめて自分で自分の本格的なセラピーをやってみたお話です。やろうと思ってやったのではなく、自然と時が流れていった感覚でした。驚きもあったので、記録の意味合いで綴ることにしました。
私がどんなふうに悲しみを癒すのかを知りたい方の参考になるでしょう。
ただし、自己セラピーは、激しくゆれる感情に耐性がある方のみの限定つきなので、安易に真似をしないでくださいね。こころの深い部分に入っても大丈夫か、自分に問いながら慎重に進めないと危険です。十分注意をはらってください。
大人の私が子どもの私にかけた言葉は、自分を癒したい人の参考になると思います。(私が自分を癒したくて出た言葉ではなく、自然と出た言葉ですから、万人にあてはまりません。自分の文脈に沿っていることが大事です)
突然の悲しみ
最近はとてもいい感じで過ごす日々が続いているなと思っていたのに、なんとなく悲しい感覚が心の一部に引っかかっていることに、今日気がつきました。
年末の休みだから、スマホは触らないで音楽も聞かず、久しぶりに庭仕事や観葉植物の手入れをしていたら、じわじわと苦しくなってきました。
あれ?私、何かおかしい。
ここから自己セラピーが始まります。
変容は、じっと待てば起きる
「何かおかしい感覚」を感じながらじっと待つと、ふわっと言葉が浮かび上がりました。
最近、年配の男性からきつく感じる言葉を聞いたから、身体が固まってしまったのかな?(*あくまでも“私がきつい”と感じただけです)
あっ、この身体が固まって息ができなくなる感覚は、先月もあった。
はじめて挑戦した趣味。そののやり方を、次の回で再現できず「忘れてしまった」といったら、先生が笑いながら「なぐってやろうか」と言ったね。(冗談めいていたのですが、瞬時に凍りつき、何も考えられなくなりました)
この前も、別の場所で別の人との間に起きた。その場ではとりつくろったものの、その後の会話がぎこちなくなってしまい記憶が欠如。
相手がどうこうではなく、私が過剰反応している。身体が凍りついた感覚。トラウマのフラシュバックが起こっているにちがいない。
と考えていたら、急に涙が出て胸がせり上がってきた。
あれっ、私はどうしちゃったの?
楽しい休みなのに、こんなに悲しいなんて……。
悲しみを体験しつくす
ここで多くの人は、悲しみを感じるのはよくないと思うでしょう。
ところが私は、この感覚がわきあがったのは、自然なことだとらえます。また、その感覚を味わいつくすことで消えていくこともわかっています。
もちろん、自分に扱える範囲であるかどうかは、私が一番よく知っています。
*私はプロなので大丈夫ですが、この記事を真似してひとりではやらないでください。
こころの声
ミカは、役に立たないね……
何も言えないね……
そこにいるだけだね……
え?これ何のこと?
なぜそう思うのか自分に問うと消えていく。頭で考えようとすると逃げていくか、想像の答えを作り出してしまうんですよ。
また、じっと待つ。感覚や感情にとどまる。
ただ、じっと身体の感覚を感じていると、震えが襲ってくる。
あ…これは…
お父さん……
お父さんがいる?
でも、おかしい。お父さんはアル中(アルコール依存症)だったけど、私には甘かった。
私にキツイ言葉を浴びせることはなかった。
あ…、お父さんとお母さんがケンカしている……
私は何もできない
ただ、そにいるだけ
私は、なんの役にも立たない
身体が硬い……
悲しい……
怖い……
涙……
胸がせり上がる……
耐えられないほどの悲しみでガス台の前でしばらく嗚咽
大人の自分の声が聞こえる
大丈夫、あなたは何も悪くない。
よく頑張ったじゃない。
よく耐えたじゃない。
私を励ます大人の声が聞こえてきた。
大人の私だ!
少し安心したので、椅子に座ってテーブルの上の花瓶を子どもの私に見立てて対話してみた。
子どもの自分と大人の自分の対話
【大人の私】
ミカ、大丈夫だよ。
あのね、今はこどもだから、そこにいることで十分なんだよ。
大人が助けないのが悪いんだよ。
子どもは力がないものなんだよ。
よ~く聞いて。
今から40年くらいするとね、あなたはゲシュタルト療法っていうすばらしい心理療法に出会うの。
そこにはね、岡田さんと言って日本では数少ない本物のセラピストがいるんだよ。
岡田さんはすごいよ。
目の前にいる人の存在を、100%受容してくれるんだよ。
変えようとはしないの。
あなたがあなたでいることを静かに応援してくれるの。
おとなの私が「死にたくなっちゃった」といったら、「そんなことは言わないで」とか、「一緒に考えましょう」とか、言わないの。
なぐさめようともしないよ。
そのかわりにね、じ~っと私の感覚を感じて、一緒の世界にいてくれるんだよ。
顔を見ていると、あっ、岡田さんは私と一緒にいるってわかる。そして彼の心からしぼり出たようなひとこと一言で、私はゆっくりと変化していくよ。ワークは何年間もやる。そのたびに、まだ何か出てくるの?と驚くくらい、いろいろなこころのテーマがある。
それだけあなたは、大変な子ども時代を過ごしたってことだから。
そしてね、あなたも彼のようなセラピストになるんだよ。自分には、ムリなく自然と変化できる力があることに気がつくの。
涙が止まらない……
この場所にね、悩んでいる人が来るの。
他所のカウンセリングでは変われなかった。
もっと早く来たかった。
そんなふうに言ってくれるんだよ。
ミカさんだから、話を聴いてもらいたいと言ってくれるよ。
大人になったらね、とても役に立つ人になるんだよ。
それからね、今度身体がかたまってしまったら、周りの人に「困った」とか「助けて」って言ってごらん。きっと助けてくれる人がいるから。
あなたが声を出すことで、そうか、この子は困っているんだと初めてわかる人もいるんだよ。
もうひとつ。
年上の男の人から、嫌だなと思うことを言われたら、「それを聞くと悲しくなるから、やめてほしい」といってごらん。
たぶんほとんどの人がやめるから。
どうしても困ったら、大人の私がその人を上手にやっつけてあげる。
大丈夫だよ。
私はいつもあなたと一緒だよ。
自己セラピー終了
この間約30分。
その後しらばくは放心状態でしたが、ゆったりと椅子に座っていたら1時間後には涙も消え、鼻歌をうたって紅茶を飲む私がいました。
多くの人は、自分のこころの中に子どもの自分がいます。
なぜかわからないけれど、うまく対処できないとき。
自分がダメな人間のように感じられるとき。
ちょっとしたことでしょんぼりしてしまうとき。
もしかすると、子どものときに感情を出しきれなかった「未完了の出来事」があるかもしれません。おびえる子どもや困った子どもの感覚になっていることもあるでしょう。
でも大丈夫。
あなたには、今日まで生きてきた、あなたにしかわからない力があるのだから。
その力を持った大人のあなたと、生き延びることで必死だった子どものあなたが行ったり来たりしながら、周囲の人たちと自分らしく生きていくことができるのです。
自己フィードバック(振り返り)
私が年上男性たちと接していて、似たような状況でかたまってしまったのは、彼らの言葉を無意識に変換したからなのでしょう。
「お前はそこにいるだけ」「何の役にも立たない」と言われたように勝手に感じとり、硬直してしまったのだと思います。
このことに気づいたから、もう大丈夫。今度からは言い返してみよう。
ていうか、70代の男性陣、もう少し言葉に気をつけてちょうだいとも思うよ、今にしてみれば。
ったくもう。ホント、嫌(笑)
ミカ