つらくなると人は「なぜ生きる?」と考えます。
私自身も5年前に「なぜ生きるのですか?」とカウンセラーに聞いたことがあります。「それは、ミカさんが自分で考えることですよ」と答えを教えてもらえませんでした。
その「なぜ生きる?」を忘れかけたころ、とある美術館で私なりの答えが見つかったのです。
それは、悲しみや苦しみは私だけが感じるものではないよ、生きることに無理をしなくてもいいよと、作品を通して作者から包み込まれたような瞬間でした。
あふれる才能と美貌で、多くの男性から賞賛されたニキ・ド・サンファル。
フランス人の画家であり彫刻家の彼女でも、同じように愛で悩んできたのだと気づいたら、私も悩んでいいのだとメッセージを受け取ったような気がしました。
何千年と続く生命の連鎖の中で、人として生まれてきた喜びや苦しみを渡されたり渡したりすることで命がつながっています。
その命の核となる「愛」を感じ、渡し渡されるのが生きることではないでしょうか。
愛は、自分が自分であるための証。
そして、自分と自分以外の存在の間に生まれるやわらかな絆。
私は愛を感じるのが大好きです。
生きていると、いろいろなことがありますね。楽しいことばかり続けばいいのですが、つらいことも起きます。
悲しみの涙。
大切な人を失ったときの喪失感。
胃がせり上がってくるような怒り。
悔しさで握りしめた拳。
うれしさで上気した頬。
愛を感じたときのやわらかな表情。
そんなあなたの存在は、きっと誰かに「自分も同じ感情を持つ人間なんだ」と、安心感を与えるはずです。
自分にはないものを持っている人たちを見て、不条理を感じるかもしれません。
悔しかったり悲しかったりしながらも、あなたと周囲の人たちがお互いに愛を感じ、日々を過ごすのが生きる意味だと私は思いますが、あなたはどう思いますか?
人との出逢いが私は好きです。
同じ時代を生きていても、ほんの少しのすれ違いで出逢えなかった人もいれば、人生を大きく変えるような偶然の出逢いもありますね。
あなたと知り合った人たち。あなたの友達。あなたの家族。あなたのパートナー。
どんなふうにあなたの愛を渡していきたいですか?
いつかあなたの命が終わる瞬間、たったひとりでよいので、大切に想う人に「確かに愛を渡した」と感じられるように、今日という日を生きていただければと思います。
もしも愛を渡すことがしんどいと思うのなら、まずは自分自身に愛を注いでみませんか?
愛を注ぐ方法は、自分の感情をそっと抱くことです。
あなたが感じることを否定しないでください。あなたの生き方は、誰にも否定されるものではないのです。
愛を感じることに年齢は関係ありません。たとえ過去にどんなことがあっても、何をするのにも遅すぎることなどありません。
変わりたいと思ったら、その瞬間から行動すれば少しずつ変化を感じるでしょう。
転んでしまったら、膝の砂を払って立ち上がると進む方向を見ることができます。
転んだままの状態で空を見上げながら「やれやれ、また転んじゃったよ」とつぶやいて、しばらく休むことも悪くはありません。
前に進むのが怖くなってしまったら、心許せる人に肩を貸してもらいながら、ゆっくりと歩くこともできます。
しんどくなったら、休みましょう。
泣きたかったら、思い切り泣きましょう。
うれしいときには、全身で表現しましょう。
あなたの感情には、あなたが生きてきた道のりのすべてがあります。
あなた自身の人生をしっかりと感じ取ってください。それが自然体なあなたの幸せであり、自分を愛することです。
どうかあなたも、穏やかな陽だまりの中であたたかな愛を感じられますように…。
そこではきっと特別なことをしなくても、あなたの存在そのものを大切に想う人の命が、あなたをそっと包みこんでくれることでしょう。