親は子どもの幸せを願って、子どもが小さなころからさまざまな努力をします。
ところが、親の想いが強過ぎると、子どもが大人になってから問題が起こることも多いもの。
その問題の根本は【誰のための幸せか】が抜けているからなのです。
幸せは誰のもの?
幸せは、人によって種類も感じ方も違います。
ある人にとっては、社会的に認められることで大きな幸せを感じるでしょう。
また、ある人にとっては、貧乏ながらも最愛の人と一緒にいることで、この上なく幸せな気持ちになったりする。
そんなふうに幸せは、あなたにとっての当たり前が、他の人にとってはまったく違うものなのです。
私たちは、自分と他人は違うのだということを、つい忘れてしまいがち。
他人には、もちろん自分の子どもも入ります。たとえ我が子といえども、子どもはあなたの所有物ではないですし、あなたの分身でもありません。
では、子どもにとっての【幸せ】は、どのようなことなのかを考えてみましょう。
子どもの幸せには【選択】がある
「そんな状態では、社会に出てから困る」と思うようでしたら、子どもに「今の状態では、結果としてこうなる可能性がある」と伝えるだけで充分です。
物事を決めるときは、子ども自身に選ばせることが何よりも大事。そこには選択という心地よさがあるからです。
子どもの幸せには【自由】もある
自分の頭で考えると、心が広がっていくような、のびのびとした開放感を感じられます。
自由は人間が人として尊重される基本。
選択する自由がないと息苦しくなり、その苦しさから逃れるために、子どもは親に話をしなくなるのです。
それが子どもの精一杯の抵抗なのですが、子どもが自分の殻に閉じこもれば閉じこもるほど、親はやっきになって子どもの殻を破ろうとする。
すると子どもは、さらに自由から遠ざかる図が出来上がるのです。
子どもの幸せには【責任】がともなう
自分で選んだことならば、当然のことながら子どもでも責任はともないます。その責任を親が肩代わりしようとするから、おかしなことになるのです。
子どもの行動の責任は、あくまでも子どものもの。
成人した子どもに対しても、まだ親が問題を解決しなければと思うのでしたら、あなたは子どもを「意思のあるひとりの人間」として扱っていないことになるでしょう。
これは、とても失礼な態度だと私は思います。
選択・自由・責任
上に挙げた対人関係における3つの言葉を支えるキーワードは、信頼です。
あなたは、子どもを信頼していますか?
信頼とは、その子どもの行動の一部が間違っていたとしても、存在そのものを否定しないこと。
つまり、『どんなあなたでいても、私はあなたが好きだよ』と気持ちを寄せることが信頼です。
子どもの幸せと親の願い
その子にとっての幸せは、その子が決めるもの。決して親であるあなたが決めることではないのです。
おそらくあなたの考える子どもの幸せは、『私にとってこうあってほしい子ども像』であり、子どものためを思っているようで、本当は『自分の思い通りにしたい気持ち』が必ずあるはずです。
子どもの幸せを願って一生懸命にやってきた「子どものため」。でも結局すべては、自分の想い。=「自分のため」
この子にこんなことが起こるじゃないか あんなことも起こるんじゃないかと、どんなに将来を心配しても、それはあなたの頭の中だけで100年先に進んでいるようなもの。
現実の相手は置き去りになっているのです。
そこに子どもの本当の幸せがあるのか、ゆっくりと考えてみませんか?
親の頭ではなく、子どもが自分の頭で考えて人生を進むことが生きる力。
それこそが、自分に自信を持ち、幸せを感じる究極の在り方でしょう。
もし、あなたが子どものことを心から大切に思うようでしたら、子どもがどうしたいのか、どうなりたいかにそっと耳を傾けることこそ、彼らを愛している証ではないでしょうか。
社会的に生産的であることだけが人の価値ではありません。
その子の中に埋もれていて、まだ日の目が当たっていない部分が、どんな子どもにもきっとあることを覚えておいてほしいのです。
神様からのギフトは、必ず誰にでもあります。
わかりやすい才能だけがいいことではないですよね。
いつも身近にいる親だからこそ、その才能を感じるまでじっと待ってみませんか。
見守ること。
それはおそらく、さまざまな愛情の形の中で、もっとも根気がいる状態だと私は思っています。
だからこそ、やる価値があるのです。
あなたの大切な子どものために。